不動産コンサルタントのつぶやき

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東日本大震災

東日本大震災から10年、情報通信機器は進化したが…

2021年3月11日、東日本大震災から10年という節目を迎えました。あの日のあの時間、自分がどこでなにをしていたのかを克明に思い出された方も多いのではないでしょうか。

この10年で変わったこと変わっていないこと様々だと思いますが、情報通信機器の進化という点では大きく変貌を遂げたのではないでしょうか。

個人的な話になりますが、携帯電話端末、今でいうガラケーからスマートフォン(iPhone4)に切り替えたのが2011年11月のことでした。したがって、東日本大震災が発生した時点ではスマートフォンを所持していなかったということになります。

総務省が公表している「令和2年 情報通信白書」によると情報通信機器の世帯保有率のうちスマートフォンの普及率についてみると、2010年が9.7%、2011年が29.3%であったのが最新の調査時点である2019年では83.4%まで伸長しています。

今や電車に乗っても老若男女、猫も杓子もスマートフォンの画面に見入っており、スマートフォンへの依存度が高い人が多いような気がします。

かくいう筆者も、腕時計型の活動量計とスマートフォンを連動させて歩数や心拍数を常にモニタリングしていますし、読書もKindleのアプリですることが多く、文庫本を持ち運ぶことがなくなりました。また、趣味の登山ではGPSと連動した詳細な地形図が道迷いを防いでくれたり、スキーの際は滑走距離や速度を全て記録してくれたりと日常生活のありとあらゆる場面でなくてはならないものになっています。

それでは、再度東日本大震災のような大地震に襲われたような場合でもスマートフォンがあれば万全なのでしょうか?

確かに災害時、電話回線がパンクしてしまってもLINEなどの代替となる通信アプリや災害伝言ダイヤルもありますし、ニュースサイトではライブ映像の配信も当たり前になりました。また、NHKのアプリを入れていればテレビがなくても最新のニュース映像で情報を収集することができます。

ただ、これらはあくまで「基地局が機能している」ということが前提になります。東日本大震災のときのように津波により基地局の機能が奪われるというようなことがあれば4G5G回線を使うことができず、スマートフォンもその機能を十分に発揮できないという事態が生じることも想定されます。

思えば、当時のガラケーにはワンセグ機能が搭載され、テレビを観ることができる機種が多かった覚えがあります。ワンセグは通信回線を使用しないのでバッテリーさえ残っていればテレビの情報を収集することができます。しかし、現在のスマートフォンではワンセグ機能を搭載している機種はほとんどなくなってしまいました。 外付けのチューナーを接続すればワンセグやフルセグの視聴は可能

現在では災害時に誰でも使える無料Wi-Fiである00000JAPAN』という公衆無線LANサービスも提供されるので、災害時に全く通信ができなくなるという心配は杞憂なのかもしれません。

ただ、携帯ラジオなど何らかの情報収集手段は手元に置いておいたり、予備のバッテリーを多めに確保したりと、万が一の場合への備えは多ければ多いほどよいと今回あらためて思いました。

 

関連記事 東日本大震災被災地のいま2017418日)

東日本大震災より10年、不動産取引の現場での変化

3月11日で、東日本大震災より10年を迎えます。

東日本大震災では、未曽有の大津波が街や原発を襲うなど甚大な被害をもたらし、その後の人々の生活に大きな影響を及ぼしましたが、東日本大震災からの10年で、不動産取引業界ではどのような変化が起こったのか思い返してみました。

・津波災害警戒区域が各地で指定され、津波災害を受ける可能性や想定される津波の高さなどを知ることができるようになった。
・(東日本大震災だけの影響ではありませんが)自然災害について被災が想定される地域や被害想定を記したハザードマップの作成が各地で進み、以前に比べて、自然災害が起こった際の影響を予見できるエリアが拡充した。
・ハザードマップの情報を、不動産を購入する際の説明書類である「重要事項説明書」に記載して、買主へ説明することが義務化された。
・脱原発が掲げられ、太陽光や風力などの再生エネルギーが注目されるようになり、特に太陽光発電を設置する住宅などが増えたため、太陽光発電が設置されている不動産の取引が増え始めた。など

上記のとおりいろいろと変化してきなと感じるほか、この10年で自然災害の発生リスクが不動産価格に大きく影響を与えるようになったと感じています。

さて、次の10年で、現在と比べて不動産価格に大きく影響を及ぼす要因に変化はあるのでしょうか。人口減少の時代と言われていますので、鉄道の駅など生活施設との距離が今より大きく影響するようになるのかなと個人的には思っています。

東日本大震災被災地のいま

 先週末、業界のある会合が福島であったため、金曜日から休みを取り、駆け足ですが、東日本大震災の被災地を回ってきました。ニュースなどで取り上げられることも多い被災地の現状ですが、遠い場所に住んでいると実感を伴わないことも現実です。しかし、今回現地を訪問し、あらためて震災の爪痕の大きさに思いを新たにしました。不動産業界に身を置く者が見た福島の現状について写真を交え報告したいと思います。


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仙台空港でレンタカーを借り、まず訪れたのが宮城県の女川町です。隣接する石巻市と比べると復興が遅れているということを聞いたため、実際のところどうなのだろうと思いやってきました。確かに、高台では造成が盛んに行われており、今なお復興途上であるということを強く印象づけられました。


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2015年12月にオープンした商業施設「シーパルピア女川」。第三セクターのまちづくり会社が運営するテナント型の商店街で、水産物を中心とした物販飲食施設が入居しています。話題の「ダンボルギーニ」も展示されています。なるべく地元貢献しようと2300円の海鮮丼を食し、お土産のかまぼこを自宅に送りました。



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商店街内の観光案内所には、震災当時の津波の写真が展示されていました。訪問した日は風もなく海は凪いでいたため俄かには信じがたいのですが、この場所で起こった現実です。


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駅も津波に流されたため、新しくなっていますが、駅自体少し高台に移転したとのことです。温泉施設も併設されているため、お湯に浸かってゆっくりしたかったのですが、先を急ぎます。


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女川町の中心部から10km以上走った山中ですが、大掛かりな造成が行われています。


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津波で84人もの児童・教職員が犠牲となった大川小学校。被害を受けた校舎がそのまま残されています。正直、言葉が出ませんでした。


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なお、大川小学校では、亡くなった児童の遺族の一部が石巻市と宮城県を被告として23億円の損害賠償を求める訴訟を提起し、昨年10月に仙台地裁が市と県に約14億円の賠償を命じる原告勝訴の判決が言い渡されています(原告、被告双方が控訴)。個人的にはこの判決については疑問を感じていたのですが、実際に現地に行ってみると、学校の裏山は子供でもなんとか登れそうな斜度であり、確かに教職員はなぜ子供たちを山に避難させなかったのか、という疑問が沸いてきました。


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翌日、福島在住の方に福島第一原発周辺を案内いただきました。福島第一原発から約5kmにある浪江町の両竹地区。一般人が近づけるのはこのあたりが限界です。道路が大きく屈折してしまっており震災の威力の大きさを感じさせます。


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分かりにくいですが、この場所からは福島第一原発の煙突やクレーンが遠望できます。


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木造建物は津波で流されてしまったため、鉄筋コンクリートの建物の遺構がポツリポツリと点在しています。かなりショックを受ける光景です。


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富岡町の桜の名所である「夜の森の桜並木」。このあたりも避難指示が4月1日に解除されたばかりの場所です。


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桜並木を歩いていくと、帰還困難区域のゲートに行き当たります。これより奥は放射線量が非常に高いレベルにあり、立ち入りが厳しく制限されています。


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帰還困難区域内では、建物も荒れ放題になっています。なお、帰還困難区域内では、公示地価などは調査が休止となっています。


被災地を訪問した4月14日は熊本の震災からちょうど1年の節目の日でした。日本という国に住んでいる限り、震災もそうですし、その他の災害も含め、自然の脅威からは無縁ではいられない。東日本大震災の被災地を訪問し、そういったことをあらためて強く認識しました。

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