先週末、業界のある会合が福島であったため、金曜日から休みを取り、駆け足ですが、東日本大震災の被災地を回ってきました。ニュースなどで取り上げられることも多い被災地の現状ですが、遠い場所に住んでいると実感を伴わないことも現実です。しかし、今回現地を訪問し、あらためて震災の爪痕の大きさに思いを新たにしました。不動産業界に身を置く者が見た福島の現状について写真を交え報告したいと思います。


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仙台空港でレンタカーを借り、まず訪れたのが宮城県の女川町です。隣接する石巻市と比べると復興が遅れているということを聞いたため、実際のところどうなのだろうと思いやってきました。確かに、高台では造成が盛んに行われており、今なお復興途上であるということを強く印象づけられました。


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2015年12月にオープンした商業施設「シーパルピア女川」。第三セクターのまちづくり会社が運営するテナント型の商店街で、水産物を中心とした物販飲食施設が入居しています。話題の「ダンボルギーニ」も展示されています。なるべく地元貢献しようと2300円の海鮮丼を食し、お土産のかまぼこを自宅に送りました。



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商店街内の観光案内所には、震災当時の津波の写真が展示されていました。訪問した日は風もなく海は凪いでいたため俄かには信じがたいのですが、この場所で起こった現実です。


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駅も津波に流されたため、新しくなっていますが、駅自体少し高台に移転したとのことです。温泉施設も併設されているため、お湯に浸かってゆっくりしたかったのですが、先を急ぎます。


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女川町の中心部から10km以上走った山中ですが、大掛かりな造成が行われています。


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津波で84人もの児童・教職員が犠牲となった大川小学校。被害を受けた校舎がそのまま残されています。正直、言葉が出ませんでした。


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なお、大川小学校では、亡くなった児童の遺族の一部が石巻市と宮城県を被告として23億円の損害賠償を求める訴訟を提起し、昨年10月に仙台地裁が市と県に約14億円の賠償を命じる原告勝訴の判決が言い渡されています(原告、被告双方が控訴)。個人的にはこの判決については疑問を感じていたのですが、実際に現地に行ってみると、学校の裏山は子供でもなんとか登れそうな斜度であり、確かに教職員はなぜ子供たちを山に避難させなかったのか、という疑問が沸いてきました。


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翌日、福島在住の方に福島第一原発周辺を案内いただきました。福島第一原発から約5kmにある浪江町の両竹地区。一般人が近づけるのはこのあたりが限界です。道路が大きく屈折してしまっており震災の威力の大きさを感じさせます。


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分かりにくいですが、この場所からは福島第一原発の煙突やクレーンが遠望できます。


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木造建物は津波で流されてしまったため、鉄筋コンクリートの建物の遺構がポツリポツリと点在しています。かなりショックを受ける光景です。


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富岡町の桜の名所である「夜の森の桜並木」。このあたりも避難指示が4月1日に解除されたばかりの場所です。


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桜並木を歩いていくと、帰還困難区域のゲートに行き当たります。これより奥は放射線量が非常に高いレベルにあり、立ち入りが厳しく制限されています。


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帰還困難区域内では、建物も荒れ放題になっています。なお、帰還困難区域内では、公示地価などは調査が休止となっています。


被災地を訪問した4月14日は熊本の震災からちょうど1年の節目の日でした。日本という国に住んでいる限り、震災もそうですし、その他の災害も含め、自然の脅威からは無縁ではいられない。東日本大震災の被災地を訪問し、そういったことをあらためて強く認識しました。